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アラモ砦(テキサス(3))

サンアントニオには、有名なアラモ砦があります。名前だけは聞いた事のある人が多いのではないでしょうか。アメリカ人、特にテキサスの人々にとってはここは聖地とも言うべき所で、この日も大勢の人が訪れていました。
その昔、テキサスがメキシコから独立しようとした時、メキシコはそれを制圧しようと、軍隊を派遣し、サンタ・アンナ将軍の率いる3000人の正規軍がサン・アントニオ市に進軍してきました。 この時、189人の市民と義勇兵がアラモ教会を砦としてたてこもり、メキシコ軍の大軍の前に一歩も譲らず、大激戦 を行いました。13日間の攻防の末、アラモ砦を守る最後の兵が倒れ、戦闘終結。この町はメキシコ軍の手に落 ちます。189名の市民・義勇兵は全滅。しかしメキシコ軍側の被害は甚大で 戦死者1500人と言われています。 メキシコ軍はここは何とか取ったものの、その46日後、サン・ジャ シントの戦いでも今度はサム・ヒューストン将軍の率いる783名の独立軍 に大撃破され、死者630名、捕虜730名という被害が出てメキシコ軍は崩壊しました。この二つの戦闘によりメキシコ側はテキサスの独立を承認せざるを得なく なり、ここにテキサス共和国が成立しました。 サンジャシトン戦の4月21日は現在テキサス州の祝日になっています。なお、 テキサス共和国はその後1845年にアメリカ合衆国に「加盟」しました。
このような歴史から、このアラモ砦は歴史的に重要な建築物である上に、ここで犠牲となった人々をたたえる神聖な場所でもあるようです。実際、中に入るときには帽子を脱がなくてはいけませんし、写真撮影も出来ません。入場料は無料で、代わりに「寄付」を募るという形になっていました。

建物の中はそう広くなく、当時の人が立てこもった部屋や、当時使っていた武器、先頭に加わった人々の名前や戦闘の経過を示す文章などがありました。30分もあれば全部見られる程度の分量です。

ただし、僕達日本人にとってはそれほど感情移入できる場所ではありません。アメリカ建国の歴史にそれほど思い入れがあるわけでは無いですし、テキサスがアメリカだろうがメキシコだろうがあまり関係が無い^^) わけですから。

もちろん、建物自体は当時の姿そのままが残っていて一見の価値があります。あとは、「有名なアラモ砦を見てきた」と人に自慢できる事でしょうか。



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